正論との対話
正論というものがある。常識的に考えて今はこうするべきだろうだとかこの台詞を言うのが正しいであろうなどという判断を私たちは自身の中にある正論と照らし合わせながら行っている。
先生が生徒を指導するときにはよくこれが行われているのだと思う。
生徒を正しさの方へと導くために先生は正論を語る。
この時行われるコミュニケーションは生徒と先生の1対1の対話ではなく、先生と正論の対話である。そして生徒は傍観者。
目の前の生徒ではなく先生は正論の方ばかりを見て話す。
生徒の中にも正論はある。だから指導を受けている生徒もそんなことは分かっているという苛立ちを覚える。それと同時に疎外感も生まれる。
先生を責めることはできない。それは正しい行いなのだから。それを求められる立場なのだから。