何者になれるだろう?何者であるだろう?

転職先も決めないで会社を辞めた息子に母は
「次は何者になる?」と訊ねる
何者も何も自分は生まれてこの方自分でしかなくて自分以外の何者にもなれずに生きてきた
職業名で夢を語るこの世界では無職は何者でも無いのだろう
求められる役割を器用に演じられる同級生に対して劣等感を抱いていた
みんなに取り残されていくようでどうして自分には上手くできないのだろう?と思いながら学生時代を過ごした
勉強は好きだった成績はよかった
それでも高い偏差値は自分の劣等感を誤魔化すのには何の役にも立たなかった
名門と呼ばれる大学に通った
特にやりたい学問があるわけでもなくただ難関大だからという理由で志望した
図書館で本を借りては挫折するのを繰り返した
どうしても興味が持てなかった
偏差値というスコアが出る分かりやすいゲームが好きだっただけで数学も物理も本当はそんなに好きではなかったのかも知れない
卒業後は就職してそれなりに過ごすんだとなんとなく思いながらも将来について深く考えることもなくキャンパスライフを消費した
卒業学年になって申し訳程度に受けた公務員試験には落ちそれ以外の就職活動はしなかった
正確に言うとはじめの一回だけ受験して他の採用試験には試験会場には行かず履歴書は大学のゴミ箱に捨てて研究室で暇を潰していた
進学して大学を卒業したら就職する以外の選択肢を知らなかった
それしか生き方が無いと思っていた
でもそこに自分の幸福がなさそうなことだけは知っていた
またしても自分は役割を演じられなかった
就活生という役割を
自分に演じられる役割はこの世界に存在しないという無力感だけがあって卒業後は何をするわけでもなく数ヵ月を過ごした
ひきこもり生活をして少したってから母の紹介で塾の講師として働くことになった
勉強を教えることは嫌いではなかった
休日には買い直した物理や数学の参考書を勉強した
理系の高校生に勉強を教えることは楽しかった
しかし自分の勤める学習塾は中学生がメイン層だった
成績があまりよくない中学生の勉強を見ることが多かった
志望校もなく今の成績で推薦が貰えそうなところに進学する子が大半で勉強は嫌いで本当は家でゲームでもして遊んでいたかったであろう子どもたちから時間を奪うことだけを続けた
これに何の意味があるのかが分からなくなった
勉強なんてやりたい奴がやればいい
塾長は子どもの選択肢を増やすためと言って勉強を促そうとしていたが選択肢なんて増えやしない
殆どの人間に与えられた選択肢は賃労働者1択だ
賃労働者という枠組みの中で多少バリエーションが増えた所で結局みんな一様な生き方を迫られる
確かに大学の同級生たちの多くは大手の条件のよい就職先を見付けて行ったけれどそれは大学名のお陰ではなく単純に彼らが優秀で人間力が高かっただけだと思う
学歴を有り難がるのはそれを持たない者だけだ
それを持つ者はその空虚さを知っている
教育者としては社会に適応させるために子どもたちを勉強へと向かわせるよう努力するのが正しいのだろう
自分は教育者としては正しくなかった
どうしてもそうはなれなかった
家や学校に居場所が見つけられなくて避難してきた子どもたちの喋り相手になる
それだけが悪いお手本の大人にできる唯一の役割だった
大人に言われたことを言われた通りにやり
進学し就職し家庭を持って子どもを育てやがて仕事を引退し孫の顔を見ることを楽しみにしながら余生を過ごし死んでいくそういう人生を再生産し続ける舞台装置の一部としては自分はあまりにも歪で馴染まなかった
余りにも馴染まないこの世界で痛みを感じながら
痛みを感じたからこそ知りたくなった
自分たちの生きる今はどんな世界なのだろう
生まれたときから自分を包囲していたこの社会を場所や時間の軸をずらしながら眺めていくことでただ取り込まれるだけの歪な部品ではなくなれたような気がした
絶対的に感じていたものを相対的に見ることで安心感を覚えた
生きるために空気を見ようとした
暗黙の了解を明るみに晒して見落としてきたものをまた見つけて
認識の外、宇宙の外に自分がぴたりと当てはまる場所を夢見て問い続ける事でしかこの命は繋げない
それに絶望したときがきっと自分の寿命なのだろう