安心の価値

保険はその最たる例だが安心を買うために高いコストを支払っているということがよくあるような気がする。

私は学習塾で勉強を教えていたことがあるのだがそこでも安心を買っているのだなと思うことがよくあった。

今の時代中学生になると成績が最下層の子から最上位層の子まで殆どの子が塾に通っている。塾に務めていた私が言うのもなんだが私は基本的に塾は必要ないと考えている。本当に元も子もないが偏差値の高い学校があるように低い学校も存在するわけで今の実力よりも上位の学校に進学したいのである!といったようなモチベーションがない限り今のままの学習習慣をひきずって生活していけば収束するように習慣に見合った実力相応校には合格できてしまうのである。塾に通うことで勉強時間を確保すると言ってもたかだか週2,3回60分~100分程度の勉強でテストの点が取れたらみんな東大生になってしまう。結局実力を付ける上で最も重視されるべきは復習であり授業を受けて分かったつもりになっているだけでは点にはならないのだ。自分で以前に学習した範囲の問題集を開き解答が作成できるまで繰り返し練習する。このプロセスを抜きにして成果だけを求めるのは虫のいい話だ。

塾とは進級や受験に向けて学力を伸ばすために通う場所である。最も重要なのは復習であるからそれがよりよくできるようにならなければ塾に通う意味は薄い。

塾に求められるものとしては日常的に使用できる自習室、通いやすい立地、共に通う友人、自習の躓きを解消してくれる質問対応といったスムーズに復習に取り組むための環境である。

こういったものを期待して塾に通うのであれば十分望んだ成果は得られるだろう。

だが現状を考えると殆どの利用者にはこれがあてはまらない。

皆が通っているから心配だという理由で通わせている親が多く、大前提としての何かしらの目標に向けて実力を伸ばすために学ぶ必要があるのかどうかすら怪しい生徒が多い。

こういった生徒は週に数回授業で話を聞いてそれで勉強していると安心し肝心要の復習に手を付けようとしないので下手をしたら逆効果である。

皆が塾に通うという文化に従って皆と同じ事をして安心するために毎月数万円の月謝を浪費しているのである。

月額数万円の安心にご満足頂けているのだろうか?