純文学作品1 三三七拍子
引退した父親の後を継いで小さなクリニックを営んでいる小男の元に今日も患者が訪れる
次の方診察室にどうぞ
声がかかると診察室のドアを開いて静かに現われた彼女はまだ若い小柄な女性だった
どうされましたか?
訊ねると彼女は今にも消えてしまいそうな声で答えた
私…おかしいんです…
何か身体に異変を感じるということでしょうか?
はい…手が…どうしようもなくって…
どうしようもないとはどういうことなのだろう?男はとりあえず彼女の手を見る
では、少し手を見させて頂きますね?両手を出して下さい
差し出された両手を見ると手のひらが少し赤く腫れているように見える
最近何か手をぶつけたり挟んだりしましたか?痛みが気になるようでしたらお薬も出しますが
いえ…違うんです…怪我とかそういうのではなくて…
ダメなんです…私止めようとしてもどうしても私ダメなんです!
そう言いながら彼女の身体が細かく震え、声も余裕が無くなっていく
カチャカチャカチャボールペンをノックする音が病室に響く
次の瞬間彼女の両腕が勢いよくあがり一定のリズムが刻まれる
パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!
パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!
さっきまで不安で潰れてしまいそうな様子だった彼女は恍惚な表情を浮かべながら一心不乱に手拍子を続けている
目の前の異常な光景に混乱しながらも男は呼びかける
どうなさったんですか!大丈夫ですか!
ダメだ声が聞こえていない
彼女の手は止まらない
刻み続けられる一定のリズム
パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!
それに呼応するように重なるもう一つの音
カチャカチャカチャ!カチャカチャカチャ!カチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャ!
事務員の女性も彼女の手拍子につられるようにボールペンをノックしはじめる
パンパンパン!カチャカチャカチャ!
音、音、音、音、音、音
男は段々と自分の心臓の高鳴りを感じる
額は汗ばみ息も荒くなる
内から湧き出る衝動が止まらない
一体自分はどうなってしまったんだ?分からない
ただあるのは強烈に引きつけられる引力
抑えられない欲求のままについに男は立ち上がると両手を胸の前に構え我を忘れて叩き出す
パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!
抑え込まれていたもの全てが弾け飛んだ
もう何もかもどうでもよい
ただこのリズムに身を預けて流されていきたい
三三七拍子のリズムに合わせて重なり混ざり合いひとつに溶けていく
パンパンパンカチャカチャカチャパンパンカチャカチャパンカチャパン
パンパンパンパンパンパン
いつまでもいつまでも繰り返される音だけが規則正しくクリニックに響き続けた