不安とどう向き合うか

人はどのようなときに不安を感じるのだろう?

何か叶えたい希望があり、それが上手くいかなかったら…と不安に思うのかも知れない。

入試の時に上手くいくか不安になるのは合格したいという自分の希望が叶わない可能性を考えてそうなるのだろう。

学校や会社で新生活が始まるときに不安を感じるのは期待値を下回る最悪なケースを避けたいみたいな心理が働くのだろう。

生活の変わり目には不安がついて回ってくるが、特別な機会だけに限らず日常生活の中でも人は大なり小なり不安を感じて生きている。

それは日々人々が何かを望み、希望と同時にそれが叶わない可能性=不安が生まれるからだ。

 

不安とどう向き合うか?というのは現代人にとってひとつの大きなテーマになるのかも知れない。

最近でいうとコロナの流行でパニックが起こりマスクやトイレットペーパーの買い占めが起こるなんて事件があった。

不安に駆られた人々が起こしたこの騒動は不安に対する耐性の低さを物語っているように思える。

病的なまでに不安に対し敏感になってしまうのはどうしてだろう?

理由は色々考えることができると思う。

ひとつは自分が被るかも知れない不利益に対して潔癖症が過ぎる場合。

失敗はダメ、ミスは許されない。100点満点の人生を目指すと1点の失点も許容することはできない。

傷1つ無い日常を送るためには相当のリスクケアが求められる。勿論全ての不都合を退けることなど不可能なので無理が生じ摩耗する。その結果不安が大きくなりすぎてしまう。

もうひとつはマーケティング戦略の被害者説。

人間は痛みを感じると行動をする。これは自分が体験した話なのだが、以前治療した歯の詰め物が取れてしまったときに長らく放置して過ごしていたことがあった。

特に痛みも無かったため歯医者に行こうとは思わなかったのだが、その間に虫歯がかなり進行してしまったようである日冷たいものを飲んだり、咀嚼すると激痛が走るようになった。

ずぼらな性格の私でも流石に辛抱できずに歯医者に駆け込み神経を抜くことになった。

これは身体的な痛みを感じて行動せざる終えなかったという具体的な話だが人が感じる痛みとは身体的なものに限らない。

例えば保険。普通に保険に加入しませんか?と言われたところで日常生活を送る上で保険に加入していないからといって困ることはないので素直に入ろうと思う人は少ないだろう。そこで保険会社のセールスマンはこう話すのです。あなたがもし病気や事故にあって働けなくなったときにご家族が困らないように云々と。こうやって不都合なできごとが起こったときの事を相手に想像させ痛みを感じさせることで契約を取る確率を上げてやろうという作戦です。

普通に過ごしていたら感じる必要のなかったはずの痛みを与え、不安を煽り人々を行動に向かわせる。そんなマーケティング戦略の被害者たち。神経症的な反応を起こす人たちの中にはそういった人も一定数いるだろうなということを想像する。

 

自分自身不安とどう向き合っていきたいか?

大きく膨らみすぎる不安に対してそれを制限する方法を考える。

漠然とした不安に輪郭を与える。何に不安を感じるのか?どのような不都合が想定されるのか?それは自分にとって本当に必ず回避するべき不都合か?

ある程度の不都合を許容してしまえばその分本当にケアすべき課題に意識を回せるので効率が良い。開き直るのも必要だ。

自分は数学に関心があるので数学を使って起こりうるリスクの評価をできるようになりたい。これも漠然とした不安に輪郭を与えるための手法の1つになると期待している。

将来の夢は何ですか?と聞かれたら今はそれが答えになるのかも知れない。

人々の漠然とした不安に輪郭を与えられるような人間になりたい。